4大商社からの「戦略的ダウン」|大手総合商社からHR系スタートアップの事業開発へ。年収1,350万→900万
今回、ご紹介する転職事例の主人公は34歳、男性。完成された巨大組織の歯車としてではなく、未完成のプロダクトを自分の力で市場に浸透させる「手応え」を求めた転身。目先の450万円の減収を「将来の経営スキルと資産(SO)への投資」と捉えた、超ハイクラスのリベンジ事例です。是非ご覧ください。
人物プロフィール
年齢:34歳
性別:男性
転職前:〇〇商事(金属資源部門、海外プロジェクト投資・事業管理)
転職後:AIを活用したタレントマネジメントSaaSを展開するスタートアップ
転職前年収:1350万
転職後年収:900万(+ストックオプション)
転職動機・テーマ:「商社の看板」を脱ぎ捨て、自分個人の名前で事業をグロースさせる実感を持ちたい。
ざっくりまとめると
・商社での「巨額投資・PMI」の知見を、スタートアップの「事業拡大戦略」へ転用
・「安定した高年収」よりも「自分の意思決定が時価総額を変える」高揚感を選択
・人的資本経営の波を捉え、企業の組織変革を「プロダクト」で解決する側へ
・年収は450万ダウンしたが、SOによる将来の億単位のキャピタルゲインを設計
・大手時代の「調整業務」ではなく、ゼロから市場を創る「事業開発」のプロへ
転職前のキャリアと悩み
「何百億の投資」に関わっていても、自分が介在した実感が薄かった
私は、〇〇商事で資源投資に携わり、世界を股にかけて働いてきました。待遇は最高で、社会的ステータスも文句なし。しかし、プロジェクトが巨大すぎて、自分の介在価値がどこにあるのかが見えなくなっていました。
社内調整と資料作りに追われる日々の中で、「もし明日、この会社がなくなったら自分に何ができるのか?」という問いに答えられない自分に恐怖を覚えました。30代のうちに、会社の看板なしで「商売を創る」経験を積まなければ、一生後悔すると思い立ちました。
転職を意識したきっかけ
商社時代に担当した子会社の再建で、最後に残った課題が「人」だったこと
巨額の資金を投じても、現場のキーマンが離職し、組織が硬直化すれば事業は失敗する。その現実を目の当たりにし、「結局、事業の成否を決めるのは『人』と『組織』だ」という真理に行き着きました。
HRの領域は、まだテクノロジーによる効率化や可視化が遅れている。ここに商社で培った「構造的に物事を捉え、実行する力」を投下すれば、巨大な市場を創れると確信しました。
転職活動内容
「商社マン」の抽象的な強みを、スタートアップの「具体的課題」へアジャスト
商社出身者は「現場感覚がない」と懸念されるため、泥臭く動けることを証明しました。
・自己分析: 海外プロジェクトでの「異なる利害関係者をまとめ上げる力」を、スタートアップにおける「他社提携(アライアンス)や組織の壁を越えた事業推進」に読み替え。
・企業選定: 年収維持を条件にせず、プロダクトの強さと経営陣の志が最も高い企業を選択。提示された900万円という年収は、その企業の最高水準でしたが、あえてそれを受け入れ、その分をSOの付与率交渉に充てました。
・面接での訴求: 「商社風のプレゼン」を封印し、その企業のプロダクトが1年後に売上を2倍にするための「具体的な営業戦略」を勝手に作成して持参。即戦力としての熱量を見せました。
意思決定のポイント/自分の市場価値
「給与(フロー)」ではなく「資産(ストック)」で生涯賃金を考える
年収450万ダウンは大きな決断でしたが、入社を決めた企業のIPO可能性が極めて高いと判断しました。上場時に数億円のキャピタルゲインを得られる設計にすることで、商社に居続ける以上のリターンを狙いました。
何より、CEOの右腕として「組織のOSを書き換える」というミッションは、商社時代のどのプロジェクトよりもエキサイティングでした。
内定・転職後の変化
年収は下がったが、人生の「支配権」を取り戻した
現在は事業本部長として、営業組織の立ち上げと大手企業とのアライアンスを指揮しています。商社時代なら10年かかるような意思決定を、ここでは毎週行っています。
「〇〇商事の〇〇さん」ではなく、「〇〇社の〇〇さん」として業界内で名前が売れ始め、ヘッドハンターからの打診も絶えません。目先の年収を下げたことで、結果的に「一生食いっぱぐれない市場価値」を手に入れました。
あなたと同じタイプの転職成功事例を探す
会員登録(無料)